注:
シュプレー川(Spree)はチェコ国内が源流で、ドイツの首都ベルリンを流れてエルベ川と合流し、北海に注いでいる。
p.s. 冷戦期、シュプレー川とハーフェル川(Havel)の川面は「ベルリンの壁」の数少ない穴の一つだった。
注:
ブランデンブルク門(Brandenburger Tor)はベルリン市の中心に位置し、ベルリンの象徴になっている。七年戦争(1754 - 1763)でプロイセンの奇跡のような勝利を記念するために、フリードリヒ“大王”の命によって建てられた。
p.s. 冷戦期、ブランデンブルク門は「ベルリンの壁」の一部となり、東ドイツの国境軍しか近づけなかった。
注:
「T-54」(この「T」はキリル文字で「te」と読む)はソ連が設計した中戦車。1947年から量産が開始された。その後、T-54とその姉妹型T-55はあっという間にワルシャワ条約機構各国の装甲主力になった。
さらに多数の国に輸入され、20世紀後半に発生したほぼすべての武装衝突に使われている。T-54/55は歴史上最も多く作られた戦車とされており、その数は十万輌にも上る可能性がある。
注:
1945年5月8日、ナチスドイツは連合軍に無条件降伏を宣告し、連合軍はドイツをソ連、アメリカ、イギリス、フランスの4カ国がそれぞれ管理する4つの占領区域に分けた。占領区域内では民主化、非軍事化、非ナチス化が進められた。
冷戦が始まると、アメリカ、イギリス、フランスの3国は占領区域を合わせて「西ベルリン」と称し、東ドイツが築いた「ベルリンの壁」によってぐるりと囲まれ、西側陣営が東側陣営の中にある孤島のような存在になった。
注:
ベルリンの戦い(1945年4月16日 - 1945年5月2日)は第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で最後となる重要な戦いである。ソ連・ポーランド連合軍の死傷者は36万人余り、ドイツ軍の死傷者は31万人余り。さらに48万人以上が投降したり捕虜になったりした。
4月30日21時50分、赤軍は勝利の旗をベルリンの帝国議会議事堂の頂上に掲げた。これはナチスが完全に敗れたことを示していた。
5月8日、ドイツは無条件降伏文書に正式に署名し、ヨーロッパの戦いは終息を告げた。
注:
アメリカの国道1号線(U.S. Route 1)、南はフロリダ州のキー・ウェスト(Key West、アメリカ本土最南端の街。対岸にあるキューバのハバナまでわずか171キロ)海岸、北はメイン州のフォート・ケント(Fort Kent)とカナダのニューブランズウィック州の161号線(New Brunswick Route 161、略称NB-161)とつながっている。全長3846キロメートル。アメリカ東海岸の15州を結ぶ主要道路のひとつ。1957年から、国道1号線の機能は新しく作られた州間高速道路95号線(Interstate 95、略称I-95)に徐々に取り代わっていった。
注:
電磁パルスの影響範囲内では、電力システム、電子デバイス、集積回路等、保護されていない電子機器、或いは電線につないであるものは全て修復不能レベルの損傷を受ける。トランジスタに比べ、電子管(真空管)は電磁パルスの攻撃を受けにくい——ただし、これも電子管そのものだけである。