ウィーン13区、天命本部。

注:

ウィーン13区はヒーツィング(Hietzing)と呼ばれ、市の最西部あたる。ハプスブルク家のシェーンブルン宮殿がある。

プランク教授、そのような型破りはしないで頂きたい。 評議会の誰かが匿名発言装置を使い、スタイル抜群の学者に意見する。
これも教育の一環です。何をそんなに驚いていらっしゃるのでしょう。 教育を持ち出せば、組織の規則をなんでも破れるわけではありません。 ……この程度の自決権は、北米支部も42実験室も持っているはずでしょう? 42実験室もヨーロッパ支部の一員です。手続きは踏んでもらいます。 多少穏やかに、別の評議員が言う。 つまり、自決権を取り上げるつもりですか? いいえ……そう極端に理解しないで頂きたい。ただ手続き上の問題をお話しているだけです。皆さん、話を大きくしないようお願いします。 ならば、確認をさせて頂きますが―― 自決権は研究機関にとって活力の源です。手続きやら承認やらを強要されては、学術的活力が奪われ、組織にとっても災難です。 まぁまぁ……話を戻しましょう。で、エジソンの状況は? いずれも譲らない状況に別の発言者が話題を変えた。 あ、プリンセス・ナンシーですか。なかなか面白いことになっていますよ。 例えば――彼女が組織外の軍隊を訓練しているという確実な証拠を握っています。 なんですと?反逆でも企んでいるのですか? いいえ……アメリカ政府の要請で――非致命性兵器開発の合意書を結んでいるので、なかなか断れないのでしょう。 ……何かと思ったら、治安維持部隊のことですか。 悪ふざけはよしてください。プランク教授。 失礼、失礼……皆さん少々固すぎるように感じましたので。 ……評議会が固いのは当然でしょう。「外国」の悪い習慣を持ち出さないようにして頂きたい。 失礼しました。生粋の「バイエルン」人なものでお許し下さい。 皆さん……話題をそらさないように。 威厳のある口調の「長老」が言った。 北米支部のつまらないあれこれは置いておいて……今日はもっと重要なことを話し合わなければなりません。 ニューヨークマンハッタン、エジソンタワー。 つまり……その「重要なこと」とは一体どういったこと、なのです? インクをこぼしそうになりながらシュレーディンガーは不機嫌な顔で、研究の邪魔をするナンシー・エジソンとエリアス・ノキアンビルタネンを横目に見た。 私が説明するよ。 金縁眼鏡をわざとらしく押し上げて言う―― 以前、本部が未発表の死海文書を42実験室に貸したのを覚えてるかな? ……はい、なのです。 ……それが一体なんなのです? たった3、4千年の歴史しかない物に、何か見つけたとでも言う気なのです? 縦ロールの研究員は、未開時代の神秘的な骨董に全く興味がないらしい。 ……一つ確認してもいいかな。 物理学には確か6.626070で始まる重要な定数があるよね?数値は十進法で言った場合の数。 ……6.626070? プランク定数のことなのです?なぜ、そんなわかりきったことをいまさら聞くのです? もう一つ、1.054571を含む定数もあったよね? ……それは私が推奨している換算プランク定数なのです。 話が見えてこないのです。つまりなんなのです? ……実は、いずれもこの「たった3、4千年の歴史しかない」文書の中に出てくるんだよ! ……どういうこと、なのです? それだけじゃないよ。 見て、記号体系は違っているけど、 この奇妙な模様、こうしてバラバラにしてみると――微積分の公式に似ていないかい? どんどんと熱が入ってきた様子で、男は自分のノートを縦ロールの소녀の前に差し出した。 ……近い、なのです。 物理博士は気まずそうに一歩後ずさる。 ううん……。 確かに……なのです。 でしょう!全くの偶然だと思うかい? ……何を言いたいのです? ……当時のユダヤ人が、どこか前文明の遺跡から書き写したものだとでも言う気なのです? その通りだよ。まさにそう。 ……正気なのです? 結論から言うと――この死海文書はとてつもなく価値のある物なんだよ。我々が想像もつかなかったようなエネルギー転換方式を、意図せず記録してくれていたんだ。 私が解読したものをちょっと見てほしい。 ……論文、なのです? そうだよ、論文。 文書自体は意味不明なアラム語の呪文と大袈裟な表題ばかりだけど―― もし、それが単なるアウトプットの結果、つまり別の文字が単純換字暗号になったものだとしたら……。 ―――ま、待ってくださいなのです。これは「単純換字暗号」なのです? あ、ごめんね。話が飛んでしまったよ。 AをDに、BをEに、CをFに……といったように、文字を置換していく最も原始的な「単純換字」、「カエサル暗号」とも言われる暗号方式をご存知かな?

注:

「(カエサル)機密にする必要がある場合、私信の中で一種の暗号で書いた。つまり、字母の配列順をずらして、いかなる単語も意味が通じないようにした。このような暗号文を解読し、意味を捉えたい場合は字母AをDと読み替え、以下同様に読み替えていくとよい」

――ガイウス・スエトニウス・パウリヌス(69AD~?)『ローマ皇帝伝』

はい、なのです。 つまり、どういうことなのです? 自分が、前文明の遺跡に迷いこんだユダヤ人だと想像してみてほしいんだ。 昔の人類が残した文字を見つけて、どうやら何か不思議な呪文のようだ。 けれど残念なことに知識不足で一体なんなのかわからない。 そんな時、もし無理やり読もうとするのなら……。 自分たちで字母に名前を付けて、一つ一つ字母を読んでいく、なのです? その通り。 まさに――その対応関係によって、死海文書のアラム語テキストは原始的な単純換字になっているんだ。 ……そこまでわかれば、解読は簡単だよ。ただ、多少間違えたけど。 ……。 ……解読の結果が意味の通るものであるなら、確率から言って、原文にも意味があるはずなのです。 ……じゃあ、あなたの言う「想像もつかなかったようなエネギー転換方式」とは一体なんなのです? 崩壊エネルギーを、制御可能なエネルギーに変える方法だよ。 ……そ、そんなことが可能、なのです?
驚くことはないだろう。 熱力学第二法則で制御しているのは内部エネルギーだ。虚数側の崩壊エネルギーが含まれていない。

注:

熱力学第二法則については様々な同値の原理がある。よく用いられるのが:

「他に何の痕跡も残さずに低温物体から高温物体に正の熱を移すことはできない」(クラウジウスの原理)、

「一様な温度を持つ一つの熱源から熱を取り出しこれを仕事にするだけで他に何の結果も残さない様な過程は実現不可能である」(ケルビンの原理)、

「重いものを持ち上げ、これに対して熱源を冷却すること以外に何の作用もしないで周期的に働く機械をつくることは不可能である」(プランクの原理)、

「既定エネルギー、物質からなり、パラメーターの確定したシステムに対し、このような安定した平衡系が存在する――他の状態も可逆過程によってそれを得ることができる」(Hatsopoulos-Keenanの原理)

など。

言っていることはわかるのですが……。 ただ、条件は超高密度の崩壊エネルギーなのです……そうなると制御可能といっても、ゼロに近―― いや、ゼロではない。 「律者」の存在を忘れてはならない。
ロンドン・ケンジントン、帝国研究院――

아인슈타인の投げた辞書の衝撃が強すぎたのか――気を失った테슬라は、そのまま午後まで眠り続けた。


クマのできた目をこすりながら1階に降りてきた頃には、乱暴を働いた張本人は웰트と向かい合い、奇妙な石を使って遊んでいた。

本格的な冬を前に、床暖房の効いた部屋が体を温める。


温かい空気と、そして気怠い雰囲気が部屋を満たしていた。

あんたたち……何してんの? オムウェソ。 オワリ。 バオ。 カラハ。

注:

上記4種はいずれもマンカラ(Mancala)と呼ばれるアフリカなどで遊ばれているゲームの一種である。オムウェソ(Omweso)はウガンダ、オワリ(Oware)はガーナ、バオ(Bao)はケニアのゲーム、カラハ(Kalah)はアメリカでルールを作り変えたものである。

2人で対局するコマ遊びゲームであり、種まきのように棋盤の穴にコマを入れ、常に移動させて遊ぶのが特徴である――移動の過程でルールに従いコマを獲得し、勝負が決まる。

……ちゃんと意味の分かる言葉しゃべんなさいよ! 乱れ放題の赤毛を気にすることなく、悪魔は憎たらしそうに小石の山を睨みつけてはテーブルをひっくり返そうとした。 待て、よせ。 天パ소녀は小石の山を手で覆うようにして守る―― 今、マンカラの多種多様なルールを研究しているところなんだ。 まさか……朝からずっとこんなことしてるんじゃないでしょうね。 主要なルールだけでも60種、そのうち4種はわかった。 今は5つ目だ。 ……面白いの、これ? 純情な男の子相手には、刺激の弱い遊びを用意しないと大変なことになる。 天パ소녀は含みを持って言う。 ……君は覚えてないかもしれないが、昨日酔った勢いでこの「純情」な彼にかなりの悪ふざけをしたのだよ。 ……え。 起きたばかりで頭のぼーとしていた赤毛の悪魔も、さすがに何か思い出したのか顔色がどんどん変わっていく。 あああああぁーーーー! 次の瞬間、顔を真っ赤にした테슬라は、穴があったら入りたいと言わんばかりにうろたえ始める。 ……。 웰트も気まずそうにそっぽを向く。 ほら、この通り「この子」はとても純粋なのだ。 ……い、一体どっちのことを言ってるのよ! 아인슈타인のどっちとも取れる表現に、웰트のことを言っているのか自分のことを言っているのかわからず、테슬라はますます顔を赤くする。 うんうん、君は今日も可愛いな。 もうわかったからっ!それ以上言わないで。 なぁ……どこ行くんだ? ハムステッド・ヒースに向かうタクシーの中で、青年は恐る恐る赤毛の暴君に問いかけた。

注:

ハムステッド・ヒースは(Hampstead Heath,「the Heath」)ロンドンの歴史ある広大な公園。この公園は粘土層をまたいで(ロンドンで標高が最も高い、海抜134mの砂丘を含む)広がり、ハムステッドからハイゲイト墓地まで続く地帯はロンドンでも有名な景勝地である。

んー? ……あぁそっか、予約の電話してた時、あの訳の分かんない石で遊んでたもんね。 ハイゲイト墓地よ、墓地。 えっ、墓地? ……何よ、その顔は。別にあんたを埋めようって訳じゃないわよ。 ……。 ねぇ……。 さっきトランクに入れたあの大きな袋の中身、よくわかってないでしょ? ……あれか。さすがに나も透視能力なんて持ってないから、見当もつかないよ。 ……。 何、あんた鼻炎持ちなわけ?キャットフードの臭いもわからないの? いや……나、猫なんて飼ったことないし―― ――匂い嗅いで、よだれ出てこなかったの? ……まさかの猫扱い! 猫みたいなもんでしょ、どこが違うの。 ……むしろ、どこが同じだ!? ぷっ。こんなことでムキになって反論するの、あんたくらいよね。 ……。 それはそれとして……。 なんで墓地まで猫の餌をあげに行くんだ?結構遠いけど。 そうね……習慣、かな。 今年の初めに5ヶ月間、あそこでボランティアさせられてたから。 ……ボランティア? ……墓地で? どういうことだ? どういうことも何も……。 裁判所にそうしろって言われたのよ。仕方ないでしょ? 裁判所? ま、まさか墓地でなんか犯罪でも起こしたのか……? いや、でも組織の一員なら司法免責権があるんじゃ? ……うちの組織と政府間の条約に飲酒運転も含まれているとでも? は? 飲酒運転? フィンランド人が運転の代行に来てくれないからよ。車置いて、地下鉄やタクシーで帰れって? あぁ、もう!全部スコットランドヤードのせい!免停にしやがって! はぁ……。 悪いのは、あんただと思うけど……。 なんで私が悪いのよ……。 めちゃくちゃな基準持ち出したのはあっちよ!私は酔ってても運転できるの。全然平気だったのに! でも……酔ってたっていう「自覚」はあったんだろ?それで何か起きたりしたら大変だぞ。 ……。 あんたね。ま、いいわ。それで半年間、私は週末を墓地で過ごすことになったのよ。 ま、悪くはなかったわ。 ハイゲイトは「墓地」と言うより「遺跡」と言った方がいいくらいの所だしね。 ……遺跡? 行けばわかるわよ。
1839年5月に死去したエリザベス・ジャクソンはきっと思いもしなかったろう……。

注:

エリザベス・ジャクソン(Elizabeth Jackson)はハイゲイト墓地に埋葬された最初の人物。

19世紀半ばの初め、産業革命により人口が急増したロンドンでは深刻な「墓地不足」が起こり、埋葬後数か月の墓の上にまた墓を作るような有様だった。ハイゲイト墓地は当時イギリス政府がこの状況を打開するため、新たに作った墓地の一つである。

自分が安息を得たこの地が、数十年後、様々な様式の墓が集まり一つの景観を作り上げていることを―― ――そして、周辺の住宅地までもが賑わい、独特な墓地へと変貌、発展していることを。
当然の如く、公園には猫がつきものだ。 ……パーンドゥ。 パーンドゥ? ……猫の名前? そう。完璧に「去勢」された猫ちゃんには、ふさわしい名前だと思わない? ……意味が全く分からないんだけど。 まぁ、ただ面白くもなんともない話の、つまらない人物の名前を借りただけよ……。

注:

パーンドゥ(Pandu)は『マハーバーラタ』のパーンドゥ族の始祖、アルジュナ等「パーンダヴァ5王子」の名義上の父である。

彼は幼い時、郊外へ狩りに出かけ、交尾中のレイヨウを弓で射たが、レイヨウは実は仙人の化身であった為、パーンドゥは人間と交わると惨死する呪いをかけられてしまった。成人し、国王となったパーンドゥは仙術使いのクンティをめとり、「神から授かる」ことにより子をもうけ(太陽神の子カルナも含む。カルナはクンティがパーンドゥと結婚する前に生んだ長男。馭者に拾われ育てられた)、後継ぎを得た。

そうだ! そのキャットフード、半分に分けてくれる? 半分? 一匹でそんなに食べるのか? ……何、言ってんのよ。 こんな大きな公園二人で回ってもしょうがないでしょ。時間も時間だし――別行動しましょ。 ベ、別行動? 墓地で? ……。 何よ、そんななりして怖いわけ? ほら、地図よ。私は東区を担当するわ……。 西区は全部あんたに任せたわよ。 ハイゲイト墓地はウェストミンスター寺院ほど多くの上流階級が埋葬されているわけではないが――

注:

ウェストミンスター修道院(Westminster Abbey)はロンドンの中心部ウェストミンスター区に位置し、イギリス国王(イングランド期から)の戴冠即位及び埋葬が行われる場所となっている。

この地に埋葬された人物は王族を除くと多くは皆偉人で、アイザック・ニュートンやチャールズ・ダーウィン、チャールズ・ディケンズ等がいる。

――マイケル・ファラデーやカール・マルクスの名前は一人で墓地を歩く青年に安心感を与えてくれた。

注:

この2人の偉人はハイゲイト墓地に埋葬された。

こうしてみると、いわゆる「有名人効果」というものもあながち嘘ではないようだ。 お陰で웰트という青年も、この墓地独特の魅力をどことなく感じることができた。

気がつかないほど小さくてボロボロの墓、アンコールワットと見紛うばかりの絢爛豪華な墓。それらが苔と雨に侵食されて平等に風化し、古代の廃墟を想わせる姿を造り出している。鍵盤の失われた石彫りのピアノ、全身蔦に絡まれた腕のない彫像、鳥の糞がタテガミを覆う花崗岩の獅子……不気味ながらも、それは自然が作り出した博物館のようで――様々なものに、目を奪われる。

ん? 奪われていた視線を正面に戻すと、前方の角に見覚えのある女性を見つける。 あれ、本当に縁があるわね。 えーと……。 先月、空港で。 ……。 ……あっ! えっと、その節はどうも……。 ふふ、緊張することないわ。 リアーナ・ブリガンティアよ。 本部直属の戦乙女だけど――今日はあなたと同じ、ただ墓参りに来ただけの人。 いや……実は墓参りではないんだ……。 猫に餌をやるのを手伝いに来ただけで。 あら、そうだったの。 それはお疲れ様。 アハハ……そうでもないけど……。 ここで会えたのも何かの縁だし…… お手伝いをさせてくれないかしら。 え?い、いいのか? もちろんよ。 今日はどうせ休みだし。 ……。 ……。 じゃあ、나も……一緒に故人を偲ばせてもらってもいいかな? え? ええ、もちろん。 マーサは理解ある子だから、きっと喜ぶわ。 ……今、あなたのいる地が、深い暗闇で満ちた場所でも目が眩むような場所でもなく。 ……耳を刺す騒音も、恐ろしい静けさもなく。 ……暖かく穏やかな場所でありますように。アーメン。 ……。 マーサ・リリー・ジェイコブス。ホロウェイで生まれ育ったの。 「リリー」はあだ名で、カラー(Calla Lily)が好きだったから。 彼女は――ベルリンで起きた崩壊事件に対処すべく当時出撃したわ。そして、あの崩壊でインヴァーリデンフリートホーフに埋葬されなかった唯一の戦乙女よ。

注:

インヴァーリデンフリートホーフ(Invalidenfriedhof)はベルリンで最も古い墓地の一つ、かつてプロイセンの軍人墓地であった。

……ベ、ベルリン? それって……。 ええ。あなたが「誕生」したあの事件よ。 ……。 自分を責めることないわ。戦場に犠牲はつきものだもの。 戦乙女が死ぬとね、組織が近くの墓地に一つひとつお墓を作って、個々に埋葬してくれるわ。 でも、死者が多数出てしまった場合、彼女たちは一か所にまとめて埋葬されるの。 ……。 え?ということはマーサは……。 帝王級の崩壊獣との戦闘で、彼女が率いる「夜蛾」隊は全滅したわ。 この子はたった一人生き残った戦乙女……けど、想像を絶するほどの精神的ダメージを負ってしまった。 ……。 すぐに前線から引き離して、治療を受けさせたけど……。 最後は結局……。 ……。 事件から2年経ってもその傷は癒えず、 今年の初めに自宅で…… ……首を吊って自ら命を絶ったの。 …………。 非戦闘時に、しかも自殺者の場合、仲間とは一緒の墓に入れない。そう軍事規律で決まっているの。 ……そ、そんな、あんまりじゃないか!?
……仕方ないわ。軍隊ってそういうものなのよ。 軍隊っていうのは、たった1本のねじの不具合も許さない機械みたいなもの。 だから、「英霊殿」は……責任を最後まで果たした人しか入れないの。 とても残酷だけど……私たちにはどうしようもないことよ。 けど、誤解しないでね。 彼女に起こった不幸は、誰が見ても悲劇そのものだったわ。あんな悲劇、彼女一人が背負う必要なんて全くなかったのに。 ただ……戦士にとって、軍人にとって、いわゆる「名誉」というものは個人より優先されるものだから。 確かに、人としてはとても残酷なことだけど……。 でも、仕方ない。「毒には毒を」って言うでしょう。 こうしなければ、勇敢な人たちをまとめることなんてできはしない―― 一瞬で全てが目まぐるしく変化する戦場で、機械のように団結し―― ――この世で最も残酷なものを受け入れ……そして……打ち勝っていく、そのために。 徐々に星が姿を現し始め、いつの間にかキャットフードの袋も軽くなっていた。 猫たちは喜んでくれたが……戦乙女マーサの話を聞いた웰트は、始終なんとも言えない感情に苛まれた。 ……この辺一帯で餌やりも最後かしら。 そうみたい、だな。 ……ごめんなさいね。 ……。 マーサのこと、あなたが気を病むことではないわ。 ……。 ……でも、あんた自身も相当つらいんじゃ? 「分かち合う喜びは倍の喜び、分かち合う悲しみは半分の悲しみ」―― そう言うだろ? ……? アハハ……ちょっとカッコつけすぎたかな。 ……!! ……あー、こんな時に言うセリフじゃなかったか? ……静かに! そう言うとリアーナは웰트の口を押え、木々の合間に引きずり込む。 それまで全く注意していなかった方向から――不思議な浮遊物が夜の闇の中、突如現れた。 な、なんだ? ……。 ま、まさか……アレじゃないよな? 何よ「アレ」って?……はっきり言いなさい! ええと……。 つまり……。 なんだ……。 ゆ、ゆゆ―― 幽霊? ……なっ、滅多なこと言わないで! それと本物の「幽霊」はね、巷で言われているものよりずっと厄介なのよ。 えっ?幽霊って本当にいるのか? ……ただの喩えよ。 あと大きな声を出さないように。ここが戦場だったら、あなたもう命落としてるわよ。 Ph'nglui mglw'nafh Cthulhu R'lyeh wgah'nagl fhtagn……。 Cthulhu fhtagn! Ph'nglui mglw'nafh Cthulhu R'lyeh wgah'nagl fhtagn……。 Cthulhu fhtagn!

注:

ラヴクラフトの有名な短編小説『クトゥルフの呼び声』でクトゥルフを崇拝する邪教が使う呪文。「ルルイエの家で、長い眠りについていたクトゥルフは夢をみるのを待っていた」と言う意味。

……止まった! ……なんだ、何か呟いてる? ……ねぇ。 あのヒラヒラしてる部分……ただのシーツに見えない? シ、シーツ? ……でも浮いてる、足だってないぞ? ……そんなの知らないわよ。風船か何か使ってるんじゃない? それに今しゃべってた声……どこかで聞いたような気が……。 リアーナは草むらの石を手に取り投げつける――
カンッ! 「幽霊」に命中した石は硬い岩にぶつかったかのように高い澄んだ音を立て、草むらに跳ね返ってきた。 ……? い、今の変な音は? ……私にわかるはずないでしょ!? まずい、バレた。 「幽霊」は体の下側から勢いよく風を吹き出したかと思うと、物凄い勢いで逃げて行った。 い、一体どういうことだ? ……しっ。 リアーナは、懐から非常に小さな通信機を取り出す。 V-23至急応援をお願いします!謎の飛行物体を発見、至急8号プランを発動し、武器を送ってください!機動部隊は待機! 繰り返します、謎の飛行物体を発見、至急8号プランを発動し、武器を送ってください!機動部隊は待機! ……………………。 ……………………。 墓地を東西に分ける道の端で、緊張した面持ちの테슬라が子供と何か話している―― 테슬라!危ないっ! どきなさい!赤毛! あ、赤毛?誰が赤毛よ!? は?ちょっと、ちょっと……何が起こってるの!? 命が惜しけりゃ、そこをどきなさい! いやああああああ―― ……8号プラン見事遂行。謎の飛行物体を無力化しました。 プランに従い、黒淵白花を持ち帰ります。通信を終了します。 ……。 ……。 2人とも、怪我はなかった? ……。 何が「怪我はなかった」よ! 最新型の浮遊ロボットになんてことを!! 弁償しなさいよねっ!!!!