ジミー・ワットは絶望に陥りながら、意識を失う前のことを思い出そうとした。 大図書館の閲覧室でいつの間にか気を失って……気がついた時には、もうこの牢屋の中。 ドアには鍵がかかっており、叫んでも誰も返事をしてくれない。 ビアンカさん……シェイクスピア船長……タレス所長…… 誰かが颯爽と登場して、笑って助けてくれるのを想像することしかできない。 ……足音? ドアに耳を当ててみる。その足音はちょうどドアの前で止まった。 鍵が差し込まれ、それが回る。 学者様、大変失礼な真似をして申し訳ありませんでした。 え、と……君は……? ……申し遅れました。 私の名前はアリス。今は……この建物の管理を任されています。 こちらへどうぞ。歩きながらご説明いたします。 ……ここはとある博士の実験場でした。 博士は独特な人でした。隠居しているだけでなく——街の人々とは考え方がまったく異なっていたのです。 街の人々は、博士が考案した社会の発展に賛同しないばかりか、危険思想の持ち主と認定し、街から追放しました。 ……それでも、博士は諦めませんでした。 ご自身の知識を持って、街の外の人たちと取引をし、一からこの実験場を作り上げ、自給自足の生活を行ってきたのです。 私のような存在を作るために。 ……君を、「作った」? ……ええ。 大変申し上げにくいのですが…… 私は……人間ではありません。 ……な、何かの例え話とかじゃなくて? はい、どうか驚かないでください。 貴方を騙そうなどとは思っておりません。私は正真正銘、博士が作った機械。「4号機」です。 貴方の目の前にいる「アリス」は、その機械のインターフェイスの一つに過ぎません。 ……人間の肉体ととてもよく似ておりますが。 …… ……このようなお話、急には信じられないかもしれませんね。 これはまだ……導入部分に過ぎません。 貴方をここまでお連れした経緯をすぐにご説明したいのですが…… その前に……あるものを見る前に……心の準備をしておいて頂きたいのです。 ……こ、心の準備? ど、どこに連れて行く気? この世で、もっとも博士が誇りに思われている場所。 私の「脳」です。 ……君の……脳…… 博士の助手たちは貴方とは別に、学者の方をお二人ここまでお連れしました。しかし、彼らは「それ」を見た瞬間、協力を断ってしまいました。 一人は話を聞いてくれず、逃げることを選択しました。 もう一人は祈りの言葉を繰り返し、会話することもかないませんでした。 …… そして、全員死にました。 し、死んだ……? はい。貴方が、アリスの最後の希望です。 き、君たちは、何をする気なんだ…… いえ、一つ誤解があります。 ここにはもう、「私たち」はいません。 ……? ここには、貴方と私しかいません。 博士とその助手たち、被害者たち、皆いなくなりました。 ……! まずは一昨日、約50時間前—— 博士は……20時間ほど働いた後、急に倒れられました。 助手たちは慌てて「治療」を施しましたが、その努力もむなしく…… 私が博士に触れた時には、もう…… ……お亡くなりになっておりました。 その後、博士を失った助手たちは、アリスの運用を続けるため危険を顧みず、貴方と、そして他二名の学者様を誘拐しました。 先ほど申し上げた通り、お二人と助手たちの間で衝突が起きてしまい…… 今やここにはもうこのアリスと…… 騒ぎの時、運良く牢屋で寝ていた貴方しかおりません。 あ、あの、ボクのことはジミーでいいです。 ジミー様。アリスにとって、貴方が唯一の救いなのです。 …… な、何をさせる気? …… そこの階段を右です。 ……そろそろ着きます。 階段を曲がると、そこには何の特徴もない扉があった。 少女は扉に手を当てる。少し震えているようだ。 この扉が開いた時…… 貴方が理性と冷静を保っていられることを祈ります。 この実験が、どんなに倫理から逸していたとしても—— そこで生まれた命は…… 生きて…… 生きていたいのです! こ、これは…… ……私の思考中枢です。 私にはメンテナンスに関する資料の閲覧権限がありません。博士がいなくなった後、誰かにメンテナンスの手順を覚えて頂いて、私に教えてもらうほかありません。 正確には、私は自身のメンテナンス方法を知らなくても大丈夫です。ただ…… ただ私は、定期的にメンテナンスを受けたいだけ。 でなければ、私は……私の命は200時間と持ちません。 ま、待って、少し整理をさせて…… つまり、君は……思考を持っている機械で、ここが君の脳? ……はい、端的に言いますと、そうです。 それで……人間の脳が休息を必要とするのと同じように、君の「脳」も定期的なメンテナンスが必要、ということ? はい。 君を作った博士は、君の行動を「完全に制御」するために…… そのために、君にメンテナンス資料の閲覧権限を与えず、自力でメンテナンスできないよう作った。 はい。 ……そ、そんなのおかしいよ。何のために博士はそうしたんだ? ……わかりません。 思うに、博士はいざという時、私を制御できる手段を残しておきたかったのかもしれません。 い、いざという時?な、何故? ……私は、「綺麗」な機械ではないからです。 ……? …… 壁一面にある箱がどう見えますか——中には、ただの複雑な電子回路が入っている、と思っていませんか? き、君は自分のことを「機械」だと言ったから、そう思うのは自然でしょ? 私が「機械」と自称するのは、「より適切な言葉」が存在しないからです。 ……それは、どういう意味? 適切な言葉を作るとしたら、私はこう呼ばれるべきでしょう—— ——「脳機」、と。 ……! 私は「4号機」です。 1号機はただのコンピュータでした。2号機は人工的に培養した神経細胞を組み込まれました。3号機は8つの脳、そして—— ——私という「混合型スーパーバイオコンピュータ」を作る提案こそが、博士を街から追放させる原因となったのです。 …… あなたの協力を得るためには、この逃れられない「罪」に立ち向かわなければいけないと思います。 少女の細い指が、ある金属の箱を指している。 重い空気がのしかかる。 その箱を開けてしまったら、自分の中の何かが……花瓶のように一瞬で粉々になってしまうような予感がした。 その瞬間、気付く—— 自分自身も、頭蓋骨の下にある「ゲル状の何か」でしかないことに。 「我思う、故に我あり」 「我」という思考する個体の本質は、つまるところ精神的なものに依存し、それはあらゆる審美的でない「不純物」を拒絶する。 しかしながら「審美」とは、他の個体の物質的な不純物にこそ宿るもの。 人間が己の主観と客観を完全に引き剥がすことは不可能である。 そもそも我々の魂は、神経伝達物質と微弱電流によって奏でられたものにすぎないのだ。 「真実は無く、全ては許される」 自分とアリスの違いなんて、「ゲル状のもの」の生産ルートが「合法」であるかどうか、それだけだろう。 ……少なくとも、彼女は「模倣ゲーム」に勝った。それだけは確かだ。 …… 無意識に彼女の冷たい指先に触れる。その指はすぐに引っ込められた。 心の中の割れやすい「花瓶」はどこかへ姿をくらました。迷わず鍵を回し、箱を開けた。

様々な電子部品が繋がれた培養槽の中央に、大きな「ゲル状の何か」があった。間違いなくかつて何かしらの生物の体の一部であっただろう、それ。生物学的知識に乏しい自分には、それがどんな生物か想像もつかないが。

培養槽の中は薄暗く、オレンジ色の光が真空管から点滅している。

手のひらを培養槽のガラスに当ててみる。冷たい指と違って、温かく、人肌のぬくもりだ。

正直に言いますと、博士の助手たちのように、貴方にメンテナンスを強要することも考えました。 ——でも、それは正しい行いではありません。私は、これ以上罪を増やしたくないのです。 本当は、貴方のことが…… すみません、余計なことまで話してしまったようです。 少女はスカートのポケットから鍵の束を取り出し、渡してくれた。 部屋の鍵はこれで全部です。すべて……ジミー様に委ねます。 必ず、貴方を地上へ、元いた世界へ帰します。約束します。 たとえ私のことを異端と、消えるべき存在であろうと思っていても……私は——
や、やめてよ! 博士や助手たちが間違ったことをしたのかもしれない……で、でもアリスは何も悪くないよ! ……! 私のこと……何も……知らないくせに…… ……。 バ、バカなことかもしれない。 でも—— ——生きたいと思うことは、間違いじゃないと思う! アリスは僕のような普通の人間じゃない、だからこそ…… 君を利用して、放置した人を許せない! ……!! 私、私は…… ……帰る場所はあるけれど、 ……何も知らずにここまで誘拐されて来たけれど、 ……君のこと何もわかっていないけれど、 でも、技師として—— いや、一人の人間として—— ——君を見殺しにすることなんてできない! ……ジミー……さま…… アリス、君の命は、たった200時間じゃない。 絶対に! 時を同じくして—— 次の交差点を右! 直進して、左! 坂を下った貧民街を突っ走るっす!ヒィヒィ言わない!まだまだ先っすよ! ここで小道に入る! 前進!前進!! あの——ここはもう郊外では? ネイトの鼻は信用できる。それに…… この砂地の窪み、三足ロボット特有の跡だ。ほら、こうやってタイヤを回すと、こういう特徴的な跡が残る。 なるほど——この痕跡が行方を指し示す証拠でもあると。 ネイト、この車輪の跡、ジミーが誘拐された時のものと考えていいんですね? (くんくん) ああ、それを辿って行けば問題ないっす! よし! 誘拐犯ども、覚悟しなさい! っ——この匂い!な、何ですかこれ!? ……硫黄湖。火山活動でできたものだ。 ちっ、まずいことになったな。 博士!ここクサすぎて、匂いを追えないっす! ああ、わかっている。この腐った卵のような匂いは…… 硫黄湖から発生した大量の硫化水素だ。硫化水素は有毒ガスで、濃度が高い時は逆に臭わなくなる特性を持つ。迂闊に足を踏み入れるべきではないな。 じゃあ…… 誘拐犯たちは、どうやってここを通ったんですか? ガスマスクか何かを装着したんだろう。 ほら、ここを見ろ、後ろのタイヤ跡より前の方が深く沈んでいる。ロボットをここに暫く停留させたのだろう。 ……おそらく、ここで装備を整えたということだ。 ネイト、戻って館長たちにガスマスクと酸素ボンベ、それと可能な限り多くの人員を集めてもらえ。しらみつぶしに探す必要がある。それと——寄り道はするなよ! 了解っす、博士! それで、私たちはここで待つだけですか? 待つのではなく、休息を取るんだ。 適度に休息を取り、タイミングを待つのも有効な作戦と言える。そういえば戦乙女、軍人として戦の指揮をとったことは? 戦?戦争?多くの人間が殺し合う、あの戦争ですか?戦乙女は人類のために戦う存在です。誰かの私利私欲のために戦う傭兵ではありません! ははっ、よく言った! 君の時代が羨ましいよ……大多数の人間は戦争の愚かさを理解しているものだというのにね。 ……? 戦争は野蛮人の栄光であり、文明人の恥。戦争を経験しないと、その真の残酷さを理解できないであろう。 怒りを覚えても、いずれ喜びを得ることはできる。ひとしきりに悩んだ後でも、再び平静さを取り戻すことはできる——しかし破壊された国は二度と戻らず、殺された人間は生き返ることもない。 今日の味方は明日の敵かもしれない。今日の敵は明日の味方かもしれない。すべては利益の奪い合い、ただその一点のみ。 では、羨ましがることですね……戦乙女は歴史上の軍人たちのように利権による争いや奪い合いをしませんから。 ……いや、それはありえない。 ッ!それはどういう意味でしょう?私がそうではないと!? いいや、あくまで理論の話だよ。 いわゆる「作戦」というものは、結局のところ、暴力によって利益を再分配するということ。 大義名分があってもなくても、それがただの狩りであっても、獲物の皮を剥ぎ、肉を喰らう行為だ。 何かしらの作戦が行われた時点で、世界の何かが変わる。それは誰かの望むことかもしれないし、他の誰かが望まないことかもしれない。 だからこそ、作戦に参加するものは、その「変化」への責任を自覚すべきである。 その責任感を持ってはじめて、本物の軍人と言えるだろう。でなければ、ただ命令に従う機械にすぎない。 …… あなた、本当に考古学者なんですか? ふふ、でなければ、何だと思う?「東方遠征軍総司令官」かな?

注釈:

1798年、ナポレオン率いるフランス「東方遠征軍」がマムルーク統治下のエジプトへ進軍した。これは、イギリスの支配下にあるユーラシア大陸の交通ラインを確保し、インドの植民地の奪還に手を貸し、最終的にイギリスに打撃を与えるための作戦であった。

「エジプト・シリア戦役」はその戦略目的を達成することは叶わなかったが、数の劣勢を抱えた数々の戦果で、ナポレオンの名は知れ渡ることとなった。

P.S. マムルーク軍とのピラミッドの戦いの前に、当時29歳のナポレオンは戦前の演説でこう述べた、「兵士諸君、4000年の歴史が見下ろしている」と。

……
……こうして、こ、こうだ。 なるほど、そういうことか。 アリス!は、始めていいよ。 本当ですか?こんなに早く理解できるなんて、さすがです! メンテナンス自体は難しい作業じゃないよ、ただ手順が複雑なだけで。 とはいえ、君の閲覧権限を変更する力はないから、回りくどいけど、ボクが理解してから教えるしかないかな。 ……ごめん。 いえ、とんでもありません!私も……ジミー様と一緒に、勉強したいです。 …… じ、じゃあ1番の箱からいこうか。それから……や、やっぱり様付けはやめてよ……しっくりこない。 は、はい! こ、このガラスの培養槽を引き出して、表示されたステータスに応じて、ボ、ボタンを押す。 なるほど、簡単ですね。 どうりで博士はこの作業を傍で見させてくれなかったわけです。 …… 博士にとって……アリスは何だったのかな? それは……私にもわかりません。 アリスという名前を付けてくれたのも……もしかしたら、ご自身でも矛盾しているのに気づいていたからではないでしょうか。 ……? ご存知ですか?「アリス」は、ある童話の主人公の名前です。 その……うさぎを見つけて、そのうさぎと一緒に豆の木に登るお話です。 ……豆の木? ご、ごめん、聞いたことないや…… う、うさぎについて行ったら、穴に落ちたんじゃなくて? えっと……その……きっと特別なうさぎだったからでしょうか……? とにかく、主人公のアリスは燕尾服を着たうさぎを追いかけ、雲の上まで続く高い豆の木の根本に辿り着きました。 木には穴が空いていて——うさぎはその穴の中へ消えます。近づいてみると、なんと木の内部で強い上昇気流が流れているではありませんか! 「うさぎさんのように飛んだら、スカートはどうしよう」と、アリスは悩みます。 その時、木から伸びた一枚の葉っぱが彼女の前に降りてきました——葉っぱには綺麗なガラスの小瓶が乗っており、瓶には丁寧な字で「飲んでください」と一言。 怪しすぎない……? そうだ、次の5番の箱、自分で操作してみる? は、はい!できると思います! 引き出して……ステータスは3マス、だから緑のボタンを押す、であっていますか? うん、問題ないよ。 じゃあ、次は6番。……それで、物語の「アリス」は本当にその瓶の中身を飲んだの? 飲みました。そしたら……魂が飛び出したのです。 た、た、たましいッ!? ……物語の中の何かの魔法でしょう。 アリスの魂は気流に乗って木の先端まで辿り着きました。振り返ってみると—— ——なんと自分の体もさやの中で眠ったまま運ばれてきました! な、なんか怪談みたいになってきたね…… 怪談、ですか? 博士は言っていました、人類は体から魂が離れる感覚が恐ろしいのだと……本当だったのですね…… その感覚が怖いというより、死を恐れているんだ。 「体から魂が離れる」なんて、誰も経験したことがないから……そうなった時、その人は「死んだ」ことになるのだから。 ……なるほど。でも、物語のアリスは死んでいませんよ! アリスは自分の体に触れてみようと手を伸ばすと、ポンっと、魂と体が一つに戻りました。 「このさやは、私をどこまで運んでくれるのでしょうか」 アリスの考えていることがわかったのか、さやはアリスを乗せて、雲の上まで飛んでいきました。 さやはそこでどんどん成長して、すぐに大きな船ほどの大きさになります。 「甲板」に扉が現れて、扉には「ここから奇跡の世界へ」と書かれていました。 アリスは扉をくぐります。下へ伸びる階段を、暗い中、足元に気をつけながら降りました。 階段を降りきったところ、壁の角、ランプの下あたりに小さい文字が書かれていました。 「この門をくぐる者は、外部世界の常識を一切捨てよ」 ……『神曲』のオマージュみたいだね。 『神曲』? そ、その、「地獄の門」に書かれた言葉だよ。 「この門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ」 ……絶望的な言葉ですね。 じ、地獄の門だからね。 そ、それで、物語のアリスは、その「常識を捨てる」門をくぐったの? はい。アリスは冒険好きな女の子だから「常識を捨てる」のは簡単だと、博士はそう言っていました。 アリスが2つ目の扉をくぐると、視界が一気に広がりました。 遠くには壮大な雪山、目の前には激しく流れる大きな川。川の岸辺には小さな駅がありました。事務室には一人の少年が座っていて、りんごをかじっています。 「次の列車は何時何分ですか?」と、アリスは尋ねました。 「三分前に出発したよ」と、少年が答えます。 アリスは困惑しました。「ありがとうございます。列車を待つ心の準備ができました。三分前の列車には乗れませんものね」 少年は頭を振り、食べかけのりんごを置きました。「その『常識』を忘れろ。ここでは——鏡があれば、時間を逆行できる」 そう言って、少年は机の上の小さな鏡を持ち上げて、ガッと扉ぐらいの大きさに広げました。 「どうぞ、鏡の向こうは5分前のこの駅だ」 鏡の中はすべて上下逆さまでした。試しに指で鏡をつついてみると、蜘蛛の巣みたいな波紋が広がります。 少年と似た装いの少女が鏡の向こう側に現れて、こちらへ来るように手を振っていました。 アリスはおそるおそる足を持ち上げて—— ——靴の先が鏡に入ったところで、鏡の中と世界が一気に逆転しました。難なくアリスは鏡を越えます。 上下逆さの鏡……ニュートンの反射鏡? ニュートンの反射鏡?天体観測の望遠鏡のことですか? うん。凹面鏡の反射の原理を使うから、見えるものは上下逆さなんだ。それに、視界の中央から鏡像を切り出す必要があるから、「第二反射鏡」の支柱がクモの巣のような模様を作り出す。 ……博士が教えてくれた話に似ていますね! あっ!では、そのりんごを食べていた少年が、かの有名なニュートンでしょうか? そ、それはわからないけど…… で、でも、童話だから、何でもありなんじゃないかな? ……あ、もう17番か。いつの間にこんなに進んでたんだろう? ずいぶん上達したみたいだね、アリス! いえ、大したことはありません。それよりジミー様——あ、いえ、ジミーさん……こそ……無理していませんか? ……む、無理?な、何のことかな。 箱を開けるたびに、私の見えないところで、何度も深呼吸されていましたから…… ……そ、それは、生理的に…… それを無理というのです! 生理的なものでも、体に負担がかかります。 ……これは、普通の人間には、とても気持ちの悪いものだとわかっています—— ——だから、平気なふりをしないでください! ……ご、ごめん。 ……いえ……私こそ、言葉が過ぎました。私のために我慢してくれていたというのに…… …… 大丈夫です!メンテナンスの仕方はもうわかりましたから、 だから、ジミーさんは私の話し相手をしてくれたら、嬉しい、です。 ……! さっきの物語、どこまで話しました? 「アリス」が……鏡を越えたところ。 そ、そうでした! アリスが鏡を越えると、ちょうどチョコレートで出来た蒸気機関車が、クリームのような白い煙を吹いて、駅に入ってきました。 作業服を着たリスが運転室から顔を出し、「チーズ列島行きの列車だよ!チーズ列島行きの列車だよ!」と。 「チーズ列島」とはどんなところか、アリスにはわかりません。駅の少女にこう尋ねました。「チーズ列島は、チーズがいっぱいのところでしょうか?」 少女は微笑んでこう答えました。「そうだよ。チーズ列島はミルキーウェイでもっとも美しい島々さ。そこにはゴーダチーズで出来た金色の砂浜と、ブルーチーズで出来たお城があるんだ!それから、ケーキの木とか、キャンディのお花とか——ぜーんぶ食べられるんだよ!」 アリスは冒険好きでしたが、現実的でもありました。なので、こう尋ねます。「そのチーズやケーキ、キャンディは、食べたらなくなってしまうんじゃないの?」 駅の少女はおかしそうに笑いました。「こういう言葉を聞いたことはないかい?『午前零時は奇跡の瞬間』だって。ほら、もうすぐ発車してしまうよ、乗った乗った」 この駅の話は、一気に少女っぽくなったね。 え?そう……でしょうか。 私はチョコレートやケーキ、チーズを味わうことができません。 ……人間にとって、高カロリーな食べ物は「少女っぽい」のでしょうか? い、いや、そういう意味じゃないよ。 そうですか……人類はやはり難しいですね。 ま、まあ、落ち込むことはないよ。人類なんて、矛盾の代名詞のようなものだし。 …… 博士も、同じようなことを言っていました…… 人類は、何をしても利益を得たいけど、リスクは負いたくない。それが出来なければ——せめて見栄だけでも張りたいものだ。 人類は、自己欺瞞に長けている。 自己欺瞞……ですか? ……たとえば、たとえばですよ……アリスは、このインターフェイスがあるから、自分のことを少女と名乗っている——みたいなことでしょうか? ふふっ、それ、欺瞞にはならないよね? アリスが、本当はこのたくさんの計算中枢でしかないとしても……君が自分のことを少女と思えば、君は少女だよ。 自分のことを人類と思っていないのなら、なおさらその呼び方は、ただの精神的なものにすぎないと思わない? なるほど、そういう考え方もあるのですね…… わかりました。今後は堂々と少女を名乗ります。ふふっ! ……ステータス4マス、黄色いボタン、32番終了。残り26個ですね。 物語より先に、メンテナンスが終わりそうだ。 …… メンテナンスが終わったら、ジミーさんは、帰ってしまわれるのですか? う……そ、そういえば……そうだった—— ——でもッ! ……でも? 「今回」帰る前に、その「アリス」の話を——最後まで聞きたいな! ……!