……その「動乱」って、「皇帝」が「壁」を起動した件ですよね? そうだ。エネルギー配列が全ての古い秩序の名残を壊した——それが皇帝の狙いだった。 皇帝は、前人が築き上げた「新秩序」を本当の意味で機能させると言っていた。 待ってください、「新秩序」って? うん?言ってなかったか? ……ああ、確かに言ってなかったかもしれない。 この歳になると、絵本でさえ何回も読まなければ理解できないのだ。 「新秩序」が何かと聞いたのだったな?ふむ……それは、この世界の歴史から話さなければ。 皇帝がこの地に降り立つまで、「ここの」ヨーロッパには「預言者」がいた。 預言者?宗教上のあの「預言者」ですか? ああ、その「預言者」だ。 彼を崇める村や集落は、いずこも異常な状態を保っていた。全員が個人より組織を優先するという異常さを。 ああ、わかるよ、お嬢さんの目はそんな人間は五万といると言っている。 その通りだ。個より全を取るのは美徳だ。だが美徳であればあるほど、「すべての人間が持つ」ことは不可能だ。 ある集団が時間の流れ、人の移り変わり、情報の錯綜を経ても、全員が「個より全」を維持できていた——お嬢さんなら、その大変さがわかるはずだ。 「利他」が純水で、「利己」が墨のように、黒に染まらぬため、理想を持った組織はひとりひとりが水のように雲となり、再び地上に戻ることを強要してきた。 維持し続けられた人類の群れは、長い歴史の中でもそう数はなかっただろう——だが「預言者」は奇跡的に、この大陸に無数の「成果」を残した。 皇帝はその異常さに気づいて、答えを探そうとした。 ……もったいぶらないでください。答えは何なんですか? せっかちなお嬢さんだ。 簡単だよ——預言者はその人間たちが生まれ持っていた本能を変えたのだ。 「生まれ持っていた本能を変えた」? 遺伝子の組み換えでしょうか?集合精神にでも改造されたと? 「遺伝子の組み換え」や「集合精神」の意味はよくわからないが…… 皇帝が見つけた答えは、ラテン語だった。預言者が生前残した手稿にあったのだ。 預言者は「禁断の果実」から知識を得たと言っていた。その知識が未来で悪用されないよう、何をしたのかのみを残し、どうやって成し遂げたのかは語らなかった。 彼は部族民たちの本能に三つの原則を刻んだ。 一つ、個人は集団に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、集団に危害を及ぼしてはならない。 一つ、前述の原則に反しない限り、個人が他の個人を侵害してはならない。 一つ、前述の原則に反しない限り、個人は集団の命令に服従しなければならない。 な、なんか「ロボット工学三原則」に似ていますね?

注釈:

ロボット工学三原則はSF作家アイザック・アシモフのSF小説において、ロボットが従うべきとして示された原則である。

1.ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

2.ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

3.ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

0.ロボットは人類に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人類に危害を及ぼしてはならない。この法則はすべての法則より優先するものとする。

……「軍人の三原則」と呼んだ方が適切かもしれませんね。 集団は人類全体とは限りません。「集団」の真意は「軍隊そのもの」に置き換えられます。 皇帝からすれば、これ以上ないほど理想的な兵士でしょう。 その通り。 良い指揮者は兵士を激励できる、良い兵士も支持者を激励できる。 あれは良い時期だった。皆の士気が高まっていた——唯一不快だったのが、ハドソン・ロイとその部下たちの危険な行為だった。 ……ハドソン・ロイって? セントヘレナを守っていたイギリスの将校だ。彼らは皇帝の力を狙って—— ——皇帝!皇帝が今ここにいる! ……? 待って、何を言っているんですか? 皇帝の気配がした!こ、この中に皇帝と関わりのある人間がいるのか?それとも皇帝の行方がわかったのか? ああ、違う、違うんだ。皇帝が反逆者である私を捕らえようと?いや、ありえない、皇帝はあそこから離れるはずが—— 落ち着いてください、このバカ龍! ……! ほんとっしょ、いい歳して喚くなんてみっともない。 こ、これはなんだ?魔物の類か? え、ワタシのこと?コホン、聞いて驚くなっしょ、ワタシこそがこの世でたったひとつの—— ——たったひとつの、うるさすぎてへし折って熔鉱炉に放り込みたい武器です。 で、私に色々黙っていたことはさておき、ここにいるってことは、みんな回復したんですね?
ああ、ごきげんよう、お二人さん!はー、「昼寝」をしたら、なんだかスッキリしたね。 おや、何だそれは?新しいペットかい? …… (うむ?皇帝の気配が……消えた?) ……船長は元気そうですね。これはペットじゃなくて、「皇帝」の元部下、ベルトラン准将です。 ……皇帝?「壁」を作った?私たちが始末しようとしているあの? そう、あの「皇帝」。 ——この方が言うには、「皇帝」の名前は「ナポレオン・ボナパルト」だそうです。 ……そ、そんなバカな! 博士……知り合いなのか? ——親戚とかじゃないよね? …… 待ってくれ、冗談だよな?あのナポレオンだぞ! ナポレオン・ボナパルト、フランス第一帝政の皇帝、人類史上最も偉大な用兵家の一人だ!大図書館で読んだことないのか? ああ、そういえばいたね、一部の世界ではフランスを率いてあっちこっち殺しまくって、ヨーロッパ中をかき回したやつ。 ……船長がイギリス人だということはよくわかった。 えーと、つまり、カエサルみたいなやつか?そんなすごい英雄を倒さねばならんのか。 ……そうとは限らないだろう。この「ベルトラン准将」の証言しか情報がないのだから。 待てよ……「ベルトラン」だって? なんだ偉そうな娘、このベルトランの話が信じられないというのか!? ……いや、信じないのではなく、鵜呑みにできないだけだ。 私が嘘をついているとでも言いたいのか! そういう意味ではない。 ……では、どういう意味だ! ベルトランさん、君の言うことは、あたしたちからすれば「一方的な言い分」なんだよ。 「ナポレオン・ボナパルト」についての情報が、仮に君の記憶違いや言い間違いであったとしても、あたしたちには判別するすべがない。 ——君以外の情報源がないから。 それはご理解頂けるだろうか。 み、認めんぞ!私はベルトラン大佐、いや、准将だ!皇帝に最も長く仕えた人間の一人だ! ああ、それで? それで?何がそれでだ?水藻や渦虫でも—— …… ……ああ、なんてことだ、おのれ水藻と渦虫! あなたの言う通りだ。私も自分の記憶が全て正しいとは言い切れない。 だが!「壁」は皇帝が見つけて、起動したのだ!それだけは確かだ! ああ、そのように言い伝えられてもいた——「皇帝」の正体までは伝えられていなかったけどね。 それよりも「皇帝」の動機だ。「壁」を起動して、一体何のメリットがあるんだ? ベルトラン准将、何か知っているかい? ……それはもちろん、国境がほしかったからだ、リメスや、ハドリアヌスの長城のような。 いや、ローマよりも、皇帝の新帝国はもっと「壁」を必要とした。「壁」は必要不可欠なものだ。 ……どういうことだ? 私を見ろ、このかろうじて生きている獣の姿を。「壁」から飛び出した時から、この体はもう二度と最良の状態には戻れなくなった。 おのれペルシアの魔女め!ある紫の宝石が力を取り戻してくれるなどとほざきおって! つけてみたらこのザマだ!動けなくなって、「ライデン瓶」扱いされ、エネルギーを吸わされてしまった!

注釈:

「ライデン瓶」は18世紀頃に用いられた静電気を蓄える装置である。van Musschenbroekがオランダのライデンで最初に試験運用をした。原始的な蓄電容器として、様々な電気実験に使われた。

誰でもいい、この首の後ろのくそったれな宝石を抉り取ってくれ! 我々のエネルギー源と色や気配が似ていたから、同じものだと信じ込んだ私が虚けだった! 宝石?紫の? どれどれ見せるっしょ――
あー!こ、これは!ワタシの「高貴」を司る「支配結晶」っしょ!何でこんなところに? おかしな魔法剣、この宝石はあなたのものだと? そうっしょ。説明すると長くなるから、先に取り外してやるっしょ! 大丈夫、こいつはエネルギーの指向先を変えられるっしょ——もちろん、キミの神経の電気信号も——だから痛く感じることはないっしょ。 よし、取れたっしょ! どう?痛くなかったっしょ。 ああ、膿を出し切ったような清々しさだ!ハハハハッ! しかし、もったいない使い方するなぁ、あの蛇女。 では、「支配結晶」の本当の使い道はなんなのでしょうか。 うーん、シュレーディンガー博士が思いついた例で説明すると—— 「マクスウェルの悪魔」って知ってる? ……なにそれ、崩壊獣の一種ですか? ふふ。ビアンカ様、「マクスウェルの悪魔」とは、物理学者たちが想像上で作った架空の魔物です—— 粒子の運動方向を操り、エネルギー伝達に干渉することによって、都合の良いエネルギー分布を作り出します。 うんうん、リタさん100点満点っしょ!「支配結晶」があれば、もっと広範囲でのエネルギー操作ができるようになるっしょ! どうもサンキューっしょ、龍さん。助かったっしょ! (知らない人には礼儀正しいんだから。) (ふふ、ビアンカ様のことが好きだからですよ。) (ちょっと!あんなのに好かれても困るんですけど!?) コホン。話を戻そう。 ベルトランさん、何故「皇帝」には「壁」が必要不可欠なんだい? ただ例の希少エネルギーを集めるためか?「イカれたインド人」が「皇帝」に飲ませたあれを? 「ただ」とはなんだ!大切なエネルギーだぞ! 年月を重ねていくうちに、皇帝の力が弱まり始めた。そもそもインド人の件の時にはすでに、人間としての寿命も近かったのだ。 何もしなければ、「超人」の力が消えた後、皇帝は恐らく死ぬ……そうしたら、ブリテンで作り上げた新帝国も瓦解しかねない。 だからインド人が残した、生産方法が不明な薬を、計画的に消費するようになった。その頃だ、「不老不死」を欲した旧イギリス軍将校が薬を盗もうとした事件が起きたのは。 ——そう、さっき話したハドソン・ロイの件だ。 あの薬の代わりを探さなければ、できれば臣民にも分け与えられるほど多く。 そうだ、その間に、皇帝は「聖歌」の秘密も知った。……どちらが先に起こったのかははっきりと覚えていないが。とにかく、皇帝は「聖歌」の力と、「壁」の設計図を手に入れたのだ。 順を追って話してくれ。「聖歌」とは? 「聖歌」は「預言者」が作った楽曲だ。人間が先祖より血脈に刻み込まれた「洗礼」を呼び起こし、血が薄れて効力がなくならないようにする。 皇帝はその秘密を知って、音楽の力で大陸の部族や集落に対して帝国に忠誠を誓うよう仕向けた。 「洗礼」というのは、先ほどの「三原則」のことですか? そうだ。 一つ、個人は集団に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、集団に危害を及ぼしてはならない。 一つ、前述の原則に反しない限り、個人が他の個人を侵害してはならない。 一つ、前述の原則に反しない限り、個人は集団の命令に服従しなければならない。 ——これらの「本能」は人々の血脈に刻み込まれ、徐々に大陸全体に拡散された。 皇帝がしたのはただ、「先天的な国民」を帝国に迎え入れただけだ。 「異郷の皇帝はしもべたちを引き連れ街を歩く。すると、奇妙なことが起きた」 「その行列を見た人の半数が、何故か行列に加わってしまうのだ。まるで自分が最初から皇帝のしもべだったかのように」 「皇帝のしもべたちは食べず、飲まず、寝ない。ただただ自分たちの皇帝にはべり、私たちの知らない言語で唄を歌いながら、前へ前へ進軍する」 ——この伝説は事実なのか? いや……いくらなんでも誇張しすぎだ。 飲まず食わず?最初からしもべのように?いや、いや、これだけは私が保証する、イギリス人よ——フランスの皇帝はそのような「まじない師」まがいのことは決してしない! ふざけた伝説だ。皇帝はただ昔からの部下でデモンストレーションをしただけだ。人の力が「人類」を超えられることを証明するために。 ……どういうこと?自分の力を示せばいいじゃないですか? アムステルダムに上陸する前に、皇帝は我々に薬を分け与えてくれた。力を得られるのは皇帝一人じゃないことを確信したからだ。それに、その頃にはもう薬を節約する必要もなくなっていた。 「壁」を展開すれば、全ての人に薬を投与するのと同じことだと分かったのだ。その「壁」の知識をどこで知ったのかはわからないが……もしかしたら、どこかの遺跡で…… ああ……皇帝を裏切る前に時を巻き戻したい。それまでは、全てが単純で美しかったのに。 皇帝が「預言者」の技術を十分に理解できていなかったのか、あるいは計算ミスだったのか、現実は…… 「壁」が展開され、罪のない人々が死んでいった。たくさん。 皆、皇帝の部下だ。皇帝を信じて仲間に加わった、血脈に「洗礼」が刻まれていた新しい部下も。 皇帝自身、それほどの犠牲を出すとは予想していなかった。 …… 結果的に、「預言者」からの「洗礼」は彼らに進化を耐えうる強さを与えてはいなかった。 一部は私のように生き延びた。皇帝のように完全に進化を遂げた者もいた—— ——だがそれよりもっと多くの!九割の人間が!インド野郎のように化物になり、もしくはエネルギーを浴びた途端焼かれて灰になった! ……! ……惨い。 ああ、惨い。 地獄とは、あのような光景を言うのだろうな…… 断末魔を出すやつ、出せないやつ、泣き叫ぶやつ、同族を喰らうやつ、燃やし尽くされたやつ、バラバラに砕けたやつ…… ……残った一割は、冷たくそれらを見下ろし、床のシミのように処理した。 彼らの魂には古い「洗礼」が刻まれているから。 ……私はそんなのに耐えられなかった。 これ以上、皇帝についていけないと思った。 恐怖が忠誠より勝ったのだ!ただただ本能的に逃げた!可笑しいだろ!この龍が! ……「裏切り」ですらなかった。 私は……あの惨状に耐えられなかっただけだ。 逃げた!あの最も忠誠だったベルトランが逃げた!もらったばかりの「超人」の力で、尻尾を巻いて逃げた! あなたのせいでは……ないと思います。 「壁」の内側では、皇帝がきっとこの上ないほど冷酷で、強大な「超人の国」を作り上げていることだろう。恥ずべきベルトランが、「壁」の外側であてもなく彷徨っていた間に。 臆病者のベルトラン!何もできなかった!持っている情報を伝えることすらできなかった! 誰も恐ろしい邪龍と話したがらなかった。誰も邪龍とこんな危険な議論を交わす者などいなかった。 100人のうち99人はこの姿を見るなり逃げた。残った1人は、名誉と金欲しさに私を殺そうとした。 そして、あの食えないペルシアの魔女!私を閉じ込め、残り少ないエネルギーを搾取した! …… 終わらせよう、全てを。 皇帝の秘密は、もはや一人の臆病者だけが守るものではなくなった…… ……もっと相応しい人間に託そう。 さあ、勇敢なお嬢さんたち、皇帝と対峙する前に、予行演習として彼の部下だったものを倒せ! ベルトラン准将はもう遠征には参加できない……それなら、せめて戦って死なせてくれ! ——さあ、殺せ!戦場で死なせてくれ! ……ちょっと、いきなり何を言ってるんですか!? 落ち着いてください、ベルトランさん。 う~ん、ワタシはむしろ…… こんなに死にたがっているのだし、一思いにやったらどうっしょ? ちょっとデュラ!冗談言わないでください!? いや、ビアンカ様、冗談じゃないっしょ。 人類はいずれ死ぬ——死に方を選ぶのも大切なことっしょ。 でも、ひとつだけ臆病者さんは勘違いしているっしょ。 戦いで栄誉ある死を求めるのならば、真にすべきことは、「生きること」に何度でも挑むこと。そして、何回目に自分が殺されるのか試すことっしょ。 ……「生きること」? そうっしょ、「生きること」。世界で最も手強い相手っしょ。誰一人勝てなかったのだから。本物の英雄でさえも、全力でやつとの戦いを楽しんだことっしょ。 年寄りは頑固らしいから…… 今から暴言を吐くっしょ。コホン。 このボケ!死に損ない!腰抜け野郎! 『門出の歌』を歌っていた戦士はどこへ行ったっしょ? 「生きること」は、まだ次の一手を待ち構えているっしょ!世界にはできることがまだたくさんあるっしょ!この—— そ、そうです! (ちょっ、ビアンカ様、まだ——) (黙って私に従ってください!でなければ村人に渡してピッケル代わりにさせますよ!) ベルトラン将軍。確かに私たちはこれから「皇帝」と対峙します。 あなたが同行することができないこともわかっています。でも、それなら丁度いい仕事があります。 ……? まわりを見てください、この歪な、困った、「超人」を崇拝する国を、迷信に踊らされた隣国を。 私たちが皆、去ってしまったら、彼らはどうなるでしょうか? ベルトラン将軍、この地を助けてください!本物の「超人」として、彼らを導いていただけないでしょうか! 「皇帝」よりも「ペルシアの魔女」よりも、あなたが適任です!あなたは善良な心を持っているのですから! 長い歳月でさえ変えられなかったその心を——大切にしてください! …… よく言った、戦乙女。 龍さん、ここの人たちはあんたを嫌ったりしない。それどころか、あんたは崇拝されるだろう。 ……だが、私は皇帝を裏切ったんだぞ! それがどうした?「皇帝」は誰も裏切ったことがないのかな? 侵略し、国を作り——そのために死んだ人間は自ら志願したとはいえ、「栄誉ある死」なのだろうか? 「皇帝」として、彼は何人裏切った?君が「裏切った」ことを本当に気にしているのか? それは…… 確かに、気にしないだろう。誰かに裏切られたかなんて、考えない人だ。 …… あなたたちの勝ちだ。私は苦境から自力で這い上がれない愚か者だ。 ああ、おのれ水藻と渦虫! 私は今まで何を考えていた!? ハッ、いいじゃないか。 年配の人ほど導きが必要だって——よく言うだろう? パーッとやって、嫌なこと全部忘れよう。 さあ、早速ここの人たちに紹介しようか? ……リタ。 どうかなさいましたか、ビアンカ様?何か心配事でも? ……急に責任重大な仕事をお年寄りに押し付けて、本当に良かったのでしょうか。 ふふ、ビアンカ様は本当にお優しいですね。 土壇場の妙案としては、これ以上ないほどのものでした。 本当に? 少なくとも、新しい職場は彼の経歴とは無関係です。自身の存在価値を再確認するのにはもってこいでしょう。 それに良い仕事は、心身を癒してくれるとも言います。 ……というわけで、最古の超人、「龍将軍」ベルトランが地上に舞い戻ったことを祝して—— ——盛大な球技大会を行う!赤チームと青チームに分かれるんだ!誰でも参加可能! 万歳!ナコム様万歳! 暗くなったら松明を灯して、子どもたちには球技場で新しい紀元を迎えさせましょう! ……出遅れました。これは何事です? 聞いたっしょ、「龍将軍」を祝って、船長が民衆を球技大会に誘ったっしょ。 ……球技大会?サッカーなら少しできますけど、ここの「球技」ってどんなのでしょう? メソアメリカの球戯。大図書館の資料によると、ここ一帯で最も人気なスポーツなようだ。

注釈:

メソアメリカの球戯(マヤ語:pitz、ナワトル語:ōllamalīztli)はメソアメリカで行われてきたゴム製のボールを使った競技である。三千年以上の歴史があり、具体的なルールは年代や地域によって異なる。一般的に2人もしくは2チームに分かれて行う競技である。

メソアメリカの球戯は宗教的な意味も持つ。球は太陽を表し、正式な試合では天上の神と地下世界の支配者の戦いと見なされた。負けた方のリーダーは斬首もしくは心臓をえぐられ生贄とされ、頭蓋骨は新たな球の元となった(今回の球はゴムボール)。

端的に言えば、両チームが交互に球を打って、フィールドから出さないようにする。球と接触していいのは肘、膝、腰、尻のみ。 ええ……変わったスポーツですね…… そうそう、もう一つルールがあった。球を相手側の石の輪に通せたら勝ちだ。 その場合、アウトやルール違反でコツコツ貯めたポイントも無効になる。 ——もちろん、難易度の高い勝利方法だ。 ほう、一撃必殺ですか。面白い。
ねえ、石の輪って、壁にあるあれのことですか? そうだ。 見ての通り、壁の上部に設置されており、サイズも球がちょうど通るくらいだ。 ふふん、戦乙女に不可能はありません! 私も参加します!伝説の一撃必殺を見せてやります! ふふ。なら、ビアンカ様のお相手は私がいたしましょう。 ほう、リタ、私に勝負を挑むのですか? よしよし、それでこそ戦乙女です!宜しい、褒めてつかわします! いえ、ビアンカ様……1チームにだけ戦乙女がいたら、一方的な試合になるかと思いまして…… なんだ、つまらないですね。 でも、試合では手を抜かないでくださいね、リタ副官? もちろんです。ビアンカ様を失望させはしません。 よろしい。 さあ、早く参加の申し込みをしましょう。 では、これから特別試合を開始する! おぉおおおおおっ! 赤陣営特別チーム——「一撃必殺」! 隊長:戦乙女、ビアンカ・アタジナ! ビアンカ様!あなたに全財産を賭けます!頑張ってください! 青陣営特別チーム——「ご命令とあらば手を抜きません。油断したら負けちゃいますよビアンカ様」! 隊長:戦乙女、リタ・ロスヴァイセ! リタ様万歳!向こうに賭けたやつらにお力を見せつけてやってください! 盛り上がってるね!選手たちもウズウズしているんじゃないかい? では、用意—— ——スタート! 開始早々ぶつかり合う両チーム! ナイス!ビアンカがフィールド前方から肘で球を打ち返し、それを臨機応変にフィールド後方へと戻したリタ! 赤チーム球に届かず!青チームの得点、0:1! なんと、赤チームすぐに取り返した!ビアンカが相手の体目掛けてサービスエース!1:1! 試合が膠着状態に入った、双方ともしばらく得点をゲットしていない。 おっと、ミスか?ビアンカのミスだ!球を観客席に返してしまった!1:2!青チームリード! まただ!赤チーム連続ミス! 先ほどのミスの影響か、後方を守るメンバーが受け損ねて、球を場外へ運んだ!1:3! それでも強気の赤チーム、真っ直ぐに球を運ぶ。もしや輪を狙っているのか? 青チーム、また不意をついて赤チーム後方へ打球!なんとか受け止めたが……ルール外の部位で球を触ったため反則!1:4! 青チームが4点でマッチポイントだ!赤チームどうする! 赤チームのメンバーが何かジェスチャーで意思疎通を図っているようだ……はじまった!赤チームが一か八かの攻めの姿勢!青チームは冷静に防御、陣形を保っている…… わお!なんてことだ!何が起きた!? ビアンカが側翼にまわり、空中で膝シュート!見事に輪を通過! 輪を通った!赤チーム、1:4の劣勢を見事に逆転! 赤チームの勝利!赤チームの勝ちだ!チーム名の通り、「一撃必殺」を決めた! おめでとう、赤チーム!おめでとう、ビアンカ!本日最高の一球だった! 球技大会特別試合、赤チームが勝ち点を取った!現在は14:12で赤陣営がリードしているぞ! リタ、いい試合でした。危うく負けるところでした。 ええ、あの一球は素晴らしかったです。 観客も盛り上がってて、最高でしたね! いやはや……理解し難いものだ…… ついさっき、自分たちの君主を亡くしたのだろう?なのに、身を翻して球場ではしゃぐとは。彼らの信仰は偽りだったのだろうか? ——これが「文化の違い」だろう。正直、羨ましいな。 ……羨ましい? ああ。彼らにとって、統治者はただのトーテムなんだよ。日々は自分のもので、上層からの影響は受けない。 素晴らしいことじゃないか。統治者が彼らの日常生活に干渉していない証拠だ。 あのペルシア人は、この点だけで言えば、良い君主だったと言わざるを得ないだろう。 ここの人々は制度を崇拝する。統治者ではなく。……その制度は難ありだが、整っているのに信用されない制度よりはマシだ。 だから「大司祭」が「龍将軍」になったぐらいで、素晴らしい何かがこの社会から失われはしない。 教義の違いはともかく、神の名の頭文字がJかAか、君は気にするか? それは…… よく考えてみてくれ、「龍将軍」。